神戸経済ニュース 編集長ブログ

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神戸ABCの旅(8)「H」はりま もしくは 旗振山

●第8回 「H」はりま もしくは 旗振山

 シリーズ「神戸ABCの旅」ですが、ようやく第8回を更新します。神戸の地名をアルファベット順に1カ所ずつ訪ねていくうちに、長らく離れていた神戸の土地勘も戻るのではないか、という企画です。月に2回ずつ更新すれば、もうそろそろ後半戦のはずでしたが、更新の間隔がやたらと空いてしまいました。なので今回はスタート地点を2カ所にして盛り上げて?みました。それでは、お付き合いください。

 地名を探すときは、まず駅名を参考にするのですが、Hで始まる駅名といえばJR神戸線の兵庫とか神戸電鉄の花山とかでしょうか。しかし今後も行く可能性がありそうなので、「はりま」を選んでみました。そんな駅、あった? と思われるかもしれませんが、こちらです。

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須磨観光リフト「はりま」

 どこやねん、という感じですが、須磨浦ロープウェーを登り、カーレーターを登り、リフトで渡ったその先にあります。須磨浦山上遊園の中にある駅というか、リフトの乗降場です。今回は、スタート地点にたどり着くまでの道を戻る旅になります。

 とはいえ、それだけというのも寂しいので、さらに少し山道を登ってみました。するとたどり着いたのが旗振山の頂上でした。

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創業昭和6年!

 「旗振山」。ここもHの地名だと思ったのですが、いずれにしてもスタート地点に到達するまでの道のりを遡る旅になったのでした。というわけで、とっととリフトに乗りましょう。

 

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空中散歩

 令和元年の写真です。なかなか、そう見えないかもしれませんが。その理由はリフトの色づかいではないかと思います。昭和カラーですよね。ベージュと赤の国鉄特急電車が走っていたころ。当時の新幹線普通車のイスがなぜかグレーとブルーでした。いまの新快速のイスのほうが数段豪華に思えます。ちょうど最も低くなったところで、播磨国摂津国の国境を通過します。

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明確に線を引いているので分かりやすいのですが…

 これは、つまり現在の神戸市須磨区と同垂水区の区境を示しているのだそうです。しかし、そんな正確に昔の国境など分かるのかというと、ちょっと疑問です。国境は時代によっても動いているはずなのですが。明治時代の直前は、そこが国境だったということなのでしょうか。そんなことを考えながら到着するのが、もう一つのリフト乗降場「せっつ」です。そこには回転展望レストランのある円筒形の展望台があります。

 

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The curry behind Awaji

 回転展望レストランでカレーを食べました。カレーはどこで食べても美味しいですわね。うっすら淡路島と明石海峡大橋が見えているのですが、どうでしょう。肉眼ではハッキリ見えました。

 

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評判の乗り心地の悪さ

 おなじみのカーレーターでさらに下ります。

 

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「うみひこ」。相方は「やまひこ」

 さらに乗り継いでロープウェーで須磨浦公園駅まで下ってきました。ロープウェーの駅は、山陽電鉄須磨浦公園駅に直結しています。もう目の前が海で、後ろには急峻な山。平地は道路(国道2号線)と線路(JR神戸線山陽電鉄)しかありません。

 この辺を少しウロウロしてみると、須磨が昔からの観光地だったことが分かります。笛の名手で美少年だったことで知られる「平敦盛」が、源氏方の熊谷直実に討たれたのが一ノ谷の合戦。その舞台が須磨の浦というわけです。「平敦盛」といえば、彼を討った熊谷直実がのちに出家。時代が下って室町時代には、平敦盛には実は子供がいて、その子が京都から須磨を訪れると父の亡霊に遭遇するという後日談まで創作されたという人気キャラクター。平敦盛の墓碑がきちんと立てられています。

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平敦盛の墓碑

 源氏物語には「須磨」「明石」に、それぞれ巻(いわば章立て)がありまして、光源氏が現地の女性と恋をするわけですが、要するに平安時代から風光明媚なリゾート地だったのですね。そんなところで源平の合戦などが発生してしまうと、格好の観光資源になってしまうわけです。こんなものも建ってしました。

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 「源平史跡 戦の浜」。昭和15年3月に神戸市観光課が立てたとあります。第2次世界大戦も始まっている時期だと思うのですが、なぜそんな時期に、これが立てられたのかは、よく分かりません。というか、調べ方もよくわかりませんが、現在の経済観光局に記録とか残っているのでしょうか。

 

 そして、少し気になっていた、アレもみに行ってみました。

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海釣り公園の入り口

 須磨海釣り公園。2018年の台風被害で閉園したままになっています。何か動きがあるように見えません。結果として漁礁になっている? 結局どうするのでしょうか。

 

 さて源平の戦では「一ノ谷の合戦」というわけですが、その一ノ谷がどこなのかというのは判然としません。一ノ谷という地名はあり、一ノ谷川も流れていますが、実際に「平家物語」の巻九を読んでみても、合戦の風景がどうも実際の地形とは合わない雰囲気です。

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「一ノ谷」正確な位置は分からない

 高校のときに習ったのは「結局は鵯越(ひよどりごえ)の場所もよく分からない」ということでした。そういえば神戸電鉄鵯越もHで始まる駅名でした。ただ、2回続けて墓地をウロウロするのも気が引けます。

 

▽シリーズ「神戸ABCの旅」

第7回 「G」 外国人墓地(がいこくじんぼち) 

第6回 「F」 再度公園(ふたたびこうえん)

第5回 「E」 会下山(えげやま)

・第4回 「D」 道場(どうじょう) 前編 後編

第3回 「C」 センタープラザ

第2回 「B」 弁天町(べんてんちょう)

第1回 「A」 相生橋(あいおいばし)

 

中曽根元首相が死去 101歳

 中曽根康弘元首相が亡くなったそうです。101歳。ご冥福をお祈りします。中曽根さん、といえば国鉄→JR、専売公社→JT、電電公社→NTTという3公社の民営化という指摘が多いけど、元はといえば「前川リポート」だ。30年以上が経過した現在から見ても、前川リポートのできのよさには感服してしまう。

(参考)前川リポート全文 https://www.komazawa-u.ac.jp/…/lect…/japaneco/maekawarep.htm

 提言の先頭に掲げられた「職住近接」について、タワーマンションと所有者不明土地問題という謎のコントラストを見せている現況と見比べただけでも、前川リポートの構想力の高さに驚かざるを得ない。

 産業、通商、金融、財政と簡素ながら幅広い分野について自由経済の原則を徹底するよう説いている。歴史に「もし」は無いらしいけど、3公社の民営化以外もちゃんとやっていれば日本の経済は、もっとダイナミックになっていたかもしれないと思う。

 これから社会の変化を嫌い、将来に目を向ける人が減る超高齢化社会が訪れることを思えば、向こう10年ぐらいが日本がアルゼンチンみたいにならない最後のチャンスかもしれないと思うし、それには地方が鍵になると思うのですが、その話はまた改めて。

 

神戸市長の朝日への反論「大連載」が完結 小学校の先生のいじめ問題

 久元神戸市長が自身のブログで、11月4日の朝日新聞社説に対する反論を10回に渡って展開し、教員間いじめの加害者である小学校の先生の給料をストップさせる条例をスピード整備したことの正当性を訴えた。忙しい中ちょっとずつ書き足したのだろうことは想像が付くが、さすがに10回に分割されると読みにくいなと思いつつ、理屈は理解できた。

 反論の的になった朝日の社説も読んだけど、「分限」と「懲戒」の目的の違いをきちんと意識できていますか、と問いたくなるような、やや論理展開の性急さを感じた。社説はニュースに即応しなくてはならないし、文字数も限られるので、大変なのは分かるけど、言論って説得力が命なので、がんばってほしいです。お互いプロやねんから。

 とはいえ、どこからどこまでが分限で、どこからどこまでが懲戒かというのは、簡単に理解できない場合も多いのではないか。警察による逮捕が懲罰と勘違いされやすいのと、ちょっと似ている。市長の言いたいことも分かるが、のちのちまで残る条例であることを考えると条例を乱用する悪徳市長が現れないように見張るしかないのか、と思う人も多いだろう。

 議会でも出ていたのは「久元さんが市長の間はええけど」という指摘だった。いまの神戸市長はバランスの取れた判断をするということで、議会からも住民からも、一定の信頼を獲得していると思う。だから余計に心配になるのだろう。本当は住民が、条例を乱用しそうな人を当選させなければいいのだけど、就任当初から大統領令を乱発したあの人とか、乱用しそうな人が突如として現れて選挙に通ってしまうのが昨今だ。

 条例だって手続きを踏めば改正も廃止もできるわけだから、制度に不備があるとなれば次の手続きを踏めばよい。条例ができたからといって議論を止めるのではなく「公務員の身分とは何か」は財政や経済(特に雇用)などの観点からも引き続き重要なテーマだと思う。朝日の社説なんて無視してもいいのに、市長がわざわざ10回もかけて反論するのは、やはり議論をする価値があるテーマだからだろう。

 20年ほど前に、引退間際の上岡龍太郎が(もちろんギャグで)「いまの公務員は全員ダメ。まず公務員になろうと思ったその心根がダメ」と言って笑いを取っていた。もしかしたら、そういう側面もあるのかもしれないけれど、誰かがやらなくてはいけない公共サービスという仕事があって、それを税金というシステムで運営するのは合理的だ。では税金で雇われる人をどうやってリクルートする? さまざまな議論があって、そら当然だと思う。

 

神戸ABCの旅(7)「G」外国人墓地

●第7回 「G」 外国人墓地

 シリーズ「神戸ABCの旅」ですが、第7回になりました。神戸の地名をアルファベット順に1カ所ずつ訪ねていくうちに、長らく離れていた神戸の土地勘も戻るのではないか、という企画です。このシリーズにしては更新の間隔が短いのではないかとの指摘を受けそうですが、その通りです。前回と同時に取材しました。とはいえ神戸にとっては大切な場所であるかと思います。それでは、お付き合いください。

 

 小学校のころに遠足で修法が原には何度も訪れておりながら、遠足で外国人墓地に立ち寄ることはありませんでした。当然ながら、現役の(?)墓地だからでしょう。普段は一般公開もしていません。ただ、外国人墓地のアプローチは普通の道路とは異なり、レンガで舗装しているので、すぐに分かります。

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レンガで舗装した外国人墓地への入り口

 修法が原から普通の舗装道路を少し歩くと、外国人墓地への分岐があります。普段は一般公開していませんが、4〜11月の第4日曜日はガイドさんが付いて案内をしてくれるそうです。ただ事前に、往復はがきによる申し込みが必要だということでした。このときは特に何の準備もしていなかったので、普段から公開されいる場所のみを、たどることにしました。ちなみに、修法が原と外国人墓地の位置関係は以下の通りです。

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再度公園の案内図 外国人墓地の位置は黄色く強調されている

 外国人墓地は最初から、ここにあったわけではないそうです。別の案内板によると神戸開港直前である1967年のクリスマスに、現在の東遊園地東側にあたる生田川尻の小野浜で最初の外国人が埋葬されたといいます。その後、小野浜の墓地が手狭になると、青谷付近の春日野(現在の中央区篭池通あたり)に新たな外国人墓地を設けたそうです。その後、市街地拡大のため春日野墓地から1952年に、小野浜墓地から1960年にそれぞれ墓石を移したことで、現在の外国人墓地が形成されたそうです。英文名称は「Kobe Municipal Foreign Cemetery」。神戸市営の施設です。

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西洋式の墓石が並ぶ

 ここが神戸にとって、いかに重要な施設であるかは埋葬されている人の顔ぶれが示しています。ここには明治以来、日本とかかわりを持った人や、その日本人妻などの2900人が眠りについているといいますが、その中には初代神戸港長のマーシャル氏、日立造船の創業者であるハンター氏(ハンター坂のハンターさん)、神戸の洋菓子を有名にしたモロゾフ氏、パン職人のフロインドリープ氏、神戸女学院の前身である神戸ホームを創設したタルカット氏、関西学院大学の創設に尽くしたランバス氏、日本初のスポーツクラブである神戸レガッタ・アンド・アスレチック・クラブを作ったシム氏らも含まれているのです。いまの神戸の街や文化が形成されるのに、先頭を切って走った人たちです。

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勇士の慰霊塔

 「勇士の慰霊塔」は第一次世界大戦のとき、阪神間に住んでいた英国人とフランス人で、それぞれ祖国のために出征し、戦死した19人のための慰霊碑だといいます。この碑の脇に立っていた案内板によると「外国人団体」が1921年(大正8年)に春日野墓地で建立し、1961年に移設したものだそうです。英仏は連合国だったことから、共同の慰霊碑になったということでしょうか。

 

 普段から一般公開している場所は、慰霊碑の少し上にある展望台までなのですが、その展望台からは深い谷の向こうに、近代的な都市が突如として山の上に浮かび上がっているのが見えました。鈴蘭台でした。写真が撮れておらず残念なのですが、空中都市ともいえそうな、やや意外な風景でした。

 振り返ると、外国人墓地がこの地に写った後、本格的な「山、海へ行く」(六甲山を削って住宅地を造成した残土で海を埋め立てて、海にも工業地や住宅地を開発する手法)が本格化します。鈴蘭台が避暑地から住宅地への転換したのは1961年。その結果として浮かび上がった空中都市の鈴蘭台を、神戸を作った人たちはどのように眺めているのでしょうか。

神戸ABCの旅(6)「F」再度公園

●第6回 「F」 再度公園

 シリーズ「神戸ABCの旅」ですが、ようやく第6回です。神戸の地名をアルファベット順に1カ所ずつ訪ねていくうちに、長らく離れていた神戸の土地勘も戻るのではないか、という企画です。こんな調子では、なかなか土地勘は戻りませんね。しばらくぶりですが、お付き合いください。

 

 なかなかFで始まる地名が決まらないうちに、ずるずると間隔が空きっぱなしになっていましたが、ようやくこれに乗ったわけです。

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土日祝のみ運転する25系統

 

 神戸市バスなのに、なぜか三宮バスターミナルの有馬や淡路島へ行くバスと同じ乗り場から乗車します。森林植物園行きですが、もちろん森林植物園までは行きません。行くのは「F」の再度公園です。車両は普通の路線バスですが、「バスはこれから市街地を抜けて…」と観光案内のアナウンスがテープで流れます。片道420円、約30分のバスの旅。もちろんイコカやパスモも使えます。

 

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再度公園・修法が原池

 バスを降りてバス停から少し歩くと、再度公園にある修法が原(しおがはら)池のほとりに出ます。修法が原。どういうルートをたどったのか分かりませんが、小学校の遠足で来て以来だと思います。上の写真の画面左に見えている小屋風の建物は、以前はボートハウスだったのですが、カフェなどの施設に模様替えしたというのは神戸市の発表で知っていたわけです。それで、いちど来てみようかなと。

 

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修法が原の広場側から見た修法が原池

 この風景を見て少し思い出したのでした。遠足で修法が原に来たのは小学校6年生のとき。クラスで仲間割れをしたのか何なのか、理由は知らないけれど隣のクラスの女の子がワーワー泣いていました。泣いている女の子がいると、その子をかばう女の子たちが取り囲み、やはり男子ともめていました。なぜ、そんなことを覚えていたのかというと、泣いていた女の子がかぶっていた帽子に、ものすごく大きく「SMILE」と書いてあったからでした。傍観者だった者としては「これがほんまの泣き笑いか」とか思ったのだったと思います。

 

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コーヒーとスコーン

 ボートハウスだった建物は単なるカフェではなく、再度公園を活性化する拠点として活用するそうです。有機野菜を販売するマルシェを開催したり、修法が原池でスタンドアップパドル(SUP)の会を開くときの拠点にしたり、ボートハウスの2階を使ってフラワーアレンジメント教室を開いたりするといいます。というわけで、お茶とお菓子を買うのと同時にハンモックの貸し出しもありました。これはゆっくりできる。静かだし。

 

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借りて来たハンモック

 ちなみに、この日はたまたまライブ演奏を開催する日でした。午後1時から始まった最初のプログラムはボサノバ。少し離れてうっすらとボサノバを聞きながら、ハンモックに揺られて、なんという予想外のリゾート気分。これはやばい。これからバスで三宮に戻って、また原稿を書く作業に移る意欲が後退してしまいそう。ちなみにハンモックというのは、カンタロープ・アイランドとかの作曲者ではありません。(それはハンコック)

 

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ライブの風景

 次回のライブは11月だそうですが、残念なことにボートハウスのホームページは作っていないそうで、詳しい行事予定がよくわからないのです。紅葉も美しいということなので、近いうちにまた行きたいなと。六甲・摩耶の商業施設とは少し離れていて、静かな雰囲気がすばらしい。駐車場もあります。

 

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弘法大師の碑

 弘法大師が入唐する際に参詣し、戻った後にも再度参詣したことで、再度山と呼ぶようになったという言い伝えがあるそうです。その弘法大師の言い伝えが定着したからか、塩が原池と呼ばれていた池に「修法が原池」と別の字を当てて従来通りシオガハラと読ませるようになったという説があるようです。

 

「こどものための図書館」に対する一抹の不安

 いまはそんなことないかもしれないけれど、小学校や中学校の図書室がどうも苦手だった。かれこれ30年も前の話だから、まだ学校には蔵書が少なかったのかもしれないし、いまはLL教材も充実していて事情が異なるのだろうけど、要するに置いてある本が退屈だった。「少年少女名作落語」というシリーズは、よく借りて読んだけど、それにしても東京の落語だったのが不満だった。

 児童文学っていうのがどうにもダメだった。夏休みの読書感想文には課題図書というのが付きものだったが、そんな本が多かった。こどもながら、子供ダマシのストーリーだな、と思うことも多かった。たまに読んでも、それがどうした、そんなあほな、と突っ込み通しで、最後まで素直に読めない僕が悪いのかと思ったこともあった。

 小学校の図書室にあったマンガは2つ。「カムイ伝」と「はだしのゲン」だった。いつも人気で貸し出し中だった。先生たちはマンガだから人気があると思い込んでいて、以来、マンガが図書室に配置されたのは見かけなかったが(あくまで昔の話)、むしろストーリーの重みが魅力的だったから人気だったのだろう。

 小学校の高学年や中学生になると、社会の授業で調べ物の必要がある課題も出てくる。当時の図書室は、その需要に答えてくれなかった。たとえば、いつまでたっても神戸は世界で4位のコンテナ港だった。それで結局、大倉山の中央図書館に行く。「こんなことを調べたいのですが」と申し出ると、司書のみなさんはとても親切にしてくれた記憶がある。本を通じて何かを知る喜びに、大人と子供の違いはあるのだろうか。

 「子供向け」という書籍のジャンルは確かに存在する。まだ文字が読めない子供の想像力を掻き立てる絵本はあるだろうし、童話や偉人伝なども子供向けかもしれない。でも子供向けの定番とされる図鑑は、大人向けの図鑑の何が違うのだろう。ルビの有無とか? そんなの、どうでもよくないか? 図鑑だろ?

 安藤忠雄氏が神戸市に寄贈しようとしている「こどものための図書館」で、もしも「子供だからこういうのが必要だ」という一方的な決めつけで蔵書が選ばれるのなら、その図書館よりも喫茶店や床屋に置かれた文庫本やスポーツ新聞の方が、よほど活字に親しむきっかけになるような気がするが、どんなもんだろうか。

 

神戸ABCの旅(5)「E」会下山

●第5回 「E」 会下山

 シリーズ「神戸ABCの旅」ですが、ようやく第5回です。神戸の地名をアルファベット順に1カ所ずつ訪ねていくうちに、長らく離れていた神戸の土地勘も戻るのではないか、という企画です。しばらくぶりですが、お付き合いください。

 

 Eということで「え」で始まる地名ですが、いろいろある中で決めたのがこちら。

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  会下山です。「えげやま」は、難読地名ではないかと思います。たぶん知らなければ読めない地名でしょう。標高は80〜85メートルほどだそうです。兵庫駅をまっすぐ山の方向に歩けば、半分以上は平坦な道のりです。山というか高台という風情で、山頂に近づく最後の5〜10分に坂道と階段を登る程度です。

 見晴らしはとてもよく、神戸らしい眺望景観の「50選」「10選」の両方に選ばれているということです。ただ神戸の風景を表す記号としてのポートタワーは、上の写真だと左上の方に小さく写っています。観光地的な神戸の眺望とは趣が異なることもあり、基本的には観光客ではなく、地元の人が楽しむ展望台という作りになっているかと思います。

 

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この辺りは、やはり楠公さんへのリスペクトが強いエリアということかとおもいます。このほかにも「海員万霊塔」という石碑があります。命を落とした海員の慰霊碑ということですので、あるいは、こちらの方が近代以降の神戸らしいと言えるかもしれません。

 

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 そして謎の構造物。巨大な縫い針が地面に突き刺してあるのはなぜだろう、と思ったのですが、あとで調べたら神戸市内に15カ所だけ設置されたビューポイントのサインなのだそうです。神戸市として、ここが非常に「ほまれ高い」展望台であることを示しているのだそうですが、なぜ針の形をしているのでしょうね。この穴から覗きなさい、ということでもないようです。

 

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 会下山の下には、新湊川が通っています。もともとは前近代の港である兵庫津(ひょうごのつ)と、日米修好通商条約によって開港した神戸を隔てていた旧湊川を付け替えたのが新湊川で、川の流れを変えるために会下山には「湊川隧道」という大きなトンネルを掘ったという話です。

 

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 ただ、いま会下山の下を流れる湊川のトンネルは、「新湊川トンネル」という、さらに新しいものだそうです。阪神淡路大震災で被災したのをきっかけに、トンネルを改めることにしたと。そんな話の概要が、案内板に書いてありました。新湊川トンネルは、湊川隧道のデザインを引き継いだのですね。

 

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 都市の治水対策のために河川を付け替えた時は、しばしば両岸に加えて川底もコンクリートで固めて、できるだけ早く海に水を流してしまおうとすることもありますが、新湊川は川底をコンクリートにせず、親水スペースも作ったようです。もしかしたら、これも震災をきっかけに、改めて改修したのかもしれません。

 

 そんなことを考えながら新湊川を遡っていると、どの辺までが付け替えられた新湊川なのか、という興味が湧いてきます。明治以前の旧湊川の痕跡がどの辺りから見られるのか、というのを探してみようと思いついたのでした。

 「洗心橋」という橋のあたりまで川を遡ると、これまで直線だった川が曲がり始めます。そして、もう少し上流までくれば、川の合流地点に出会います。

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 合流するポイントの位置を大きく変えるのは、大きな工事になるだろうと勘を働かせたわけです。このポイントから洗心橋の間に、元の湊川の痕跡を見つけられるのではないかと。すると、ちょうどこの写真から後ろを振り返ったあたりに、伸びている道があったので、近づいてみました。

 

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 これは、新湊川ふれあい会館の前あたりになります。奥に見えているのが東山商店街のアーケードです。右側の家が建っている敷地と、左の道路が段差になっているのがわかります。これ、旧湊川の堤防の痕跡ではないでしょうか。違うかな。

 

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 湊川公園のあたりまでくると、かつて天井川だった旧湊川の痕跡として、旧堤防と地上との高低差が6〜7メートルあったのが、そのまま残っています。川を付け替えた跡地が新たな歓楽街「新開地」として大正から昭和にかけて隆盛を極めたのは、知られている通りです。

 

 2018年7月に新開地でオープンした寄席「喜楽館」は、1976年(昭和51年)に神戸松竹座が閉館して以来の演芸場だそうです。一時は隆盛を極めていた新開地も、昭和40年代にはかなり寂れていたということが想像されます。そのころには、すでに「神戸はかつて造船の街だった」という意識が高まっていたことでしょう。

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 もしかしたら、造船の街として極めた隆盛の名残りと言っても良いのかもしれません。新開地駅の地下街「メトロこうべ」で、ちょっと一杯、いただいて帰りました。もちろん(?)立ち飲みです。この日はすでに暑く、冷たい日本酒がありがたかったです。

 

▽シリーズ「神戸ABCの旅」

・第4回 「D」 道場(どうじょう) 前編 後編

・第3回 「C」 センタープラザ

・第2回 「B」 弁天町(べんてんちょう)

・第1回 「A」 相生橋(あいおいばし)