神戸経済ニュース 編集長ブログ

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神戸ABCの旅(5)「E」会下山

●第5回 「E」 会下山

 シリーズ「神戸ABCの旅」ですが、ようやく第5回です。神戸の地名をアルファベット順に1カ所ずつ訪ねていくうちに、長らく離れていた神戸の土地勘も戻るのではないか、という企画です。しばらくぶりですが、お付き合いください。

 

 Eということで「え」で始まる地名ですが、いろいろある中で決めたのがこちら。

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  会下山です。「えげやま」は、難読地名ではないかと思います。たぶん知らなければ読めない地名でしょう。標高は80〜85メートルほどだそうです。兵庫駅をまっすぐ山の方向に歩けば、半分以上は平坦な道のりです。山というか高台という風情で、山頂に近づく最後の5〜10分に坂道と階段を登る程度です。

 見晴らしはとてもよく、神戸らしい眺望景観の「50選」「10選」の両方に選ばれているということです。ただ神戸の風景を表す記号としてのポートタワーは、上の写真だと左上の方に小さく写っています。観光地的な神戸の眺望とは趣が異なることもあり、基本的には観光客ではなく、地元の人が楽しむ展望台という作りになっているかと思います。

 

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この辺りは、やはり楠公さんへのリスペクトが強いエリアということかとおもいます。このほかにも「海員万霊塔」という石碑があります。命を落とした海員の慰霊碑ということですので、あるいは、こちらの方が近代以降の神戸らしいと言えるかもしれません。

 

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 そして謎の構造物。巨大な縫い針が地面に突き刺してあるのはなぜだろう、と思ったのですが、あとで調べたら神戸市内に15カ所だけ設置されたビューポイントのサインなのだそうです。神戸市として、ここが非常に「ほまれ高い」展望台であることを示しているのだそうですが、なぜ針の形をしているのでしょうね。この穴から覗きなさい、ということでもないようです。

 

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 会下山の下には、新湊川が通っています。もともとは前近代の港である兵庫津(ひょうごのつ)と、日米修好通商条約によって開港した神戸を隔てていた旧湊川を付け替えたのが新湊川で、川の流れを変えるために会下山には「湊川隧道」という大きなトンネルを掘ったという話です。

 

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 ただ、いま会下山の下を流れる湊川のトンネルは、「新湊川トンネル」という、さらに新しいものだそうです。阪神淡路大震災で被災したのをきっかけに、トンネルを改めることにしたと。そんな話の概要が、案内板に書いてありました。新湊川トンネルは、湊川隧道のデザインを引き継いだのですね。

 

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 都市の治水対策のために河川を付け替えた時は、しばしば両岸に加えて川底もコンクリートで固めて、できるだけ早く海に水を流してしまおうとすることもありますが、新湊川は川底をコンクリートにせず、親水スペースも作ったようです。もしかしたら、これも震災をきっかけに、改めて改修したのかもしれません。

 

 そんなことを考えながら新湊川を遡っていると、どの辺までが付け替えられた新湊川なのか、という興味が湧いてきます。明治以前の旧湊川の痕跡がどの辺りから見られるのか、というのを探してみようと思いついたのでした。

 「洗心橋」という橋のあたりまで川を遡ると、これまで直線だった川が曲がり始めます。そして、もう少し上流までくれば、川の合流地点に出会います。

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 合流するポイントの位置を大きく変えるのは、大きな工事になるだろうと勘を働かせたわけです。このポイントから洗心橋の間に、元の湊川の痕跡を見つけられるのではないかと。すると、ちょうどこの写真から後ろを振り返ったあたりに、伸びている道があったので、近づいてみました。

 

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 これは、新湊川ふれあい会館の前あたりになります。奥に見えているのが東山商店街のアーケードです。右側の家が建っている敷地と、左の道路が段差になっているのがわかります。これ、旧湊川の堤防の痕跡ではないでしょうか。違うかな。

 

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 湊川公園のあたりまでくると、かつて天井川だった旧湊川の痕跡として、旧堤防と地上との高低差が6〜7メートルあったのが、そのまま残っています。川を付け替えた跡地が新たな歓楽街「新開地」として大正から昭和にかけて隆盛を極めたのは、知られている通りです。

 

 2018年7月に新開地でオープンした寄席「喜楽館」は、1976年(昭和51年)に神戸松竹座が閉館して以来の演芸場だそうです。一時は隆盛を極めていた新開地も、昭和40年代にはかなり寂れていたということが想像されます。そのころには、すでに「神戸はかつて造船の街だった」という意識が高まっていたことでしょう。

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 もしかしたら、造船の街として極めた隆盛の名残りと言っても良いのかもしれません。新開地駅の地下街「メトロこうべ」で、ちょっと一杯、いただいて帰りました。もちろん(?)立ち飲みです。この日はすでに暑く、冷たい日本酒がありがたかったです。

 

▽シリーズ「神戸ABCの旅」

・第4回 「D」 道場(どうじょう) 前編 後編

・第3回 「C」 センタープラザ

・第2回 「B」 弁天町(べんてんちょう)

・第1回 「A」 相生橋(あいおいばし)

 

 

兵庫県は5国?

 兵庫県は「5国」(摂津、播磨、但馬、丹波、淡路)から成り立っている、というキャンペーンを熱心にしているが、あんまり5国って言わないほうがよいのでは。なぜなら、備前福河だって兵庫県だし、佐用町の一部は美作(みまさか)だったから。兵庫県の「県土」みたいな話をするなら、無視できるはずはない。

 それに摂津の中心的な都市である難波津は大阪府だし、丹波にしても亀岡、園部、福知山といった都市は京都府だ。兵庫県内の旧摂津と旧丹波の地域は、備前における備前福河との比較で見れば広い範囲かもしれないが、全部でないという点では同じ。

 そもそも廃藩置県といって、昔の国の概念を捨てたところから、兵庫県のような広大な県が成立しているのではないか。歴史も大事だが、あまり行政が回顧趣味に走るのはどうかという気はする。なぜ、いまの位置が県境になったのか、そもそも県境としてふさわしいのか、といったところにキャンペーンのヒントがあるのではないか……という気はする。

 ちなみに伝統的な日本文学に土地勘のある人なら「ゴコク」と言えば「米、麦、粟、稗、豆」だとか、「米、麦、粟、黍、稗」だとかを思い浮かべるのではないか。普通は五国ではなく「五穀」が正解だ。

 

神戸ABCの旅(4)「D」道場(後編)

●第4回 「D」 道場(後編)

 

前編はこちら。

 

 シリーズ「神戸ABCの旅」の第4回の後編です。Dが頭文字である神戸市内の地名「道場」を訪ねています。どちらかというと、後編は余談という風情です。

 塩田八幡宮で対面した意外なものといえば、これでした。

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巨大みくじ(許可を得て撮影しています)

 大きさが伝わりにくいかもしれませんが、ひと抱えもあるおみくじが、おそらくここの名物になっていることかと思います。八幡宮さまにごあいさつをした後、おみくじを引いてみると、結果は「吉」でした。商売にしても何にしても、どの項目を見ても「そのうち良くなるから、いまはおとなしくしとけ」という内容でした。おとなしくしていて良いことがあるのなら、それでも良いのかもしれません。

 というわけで塩田八幡宮から下山して、再び神鉄道場駅をめざして歩き始めました。

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道場町案内図

 4月に発足したばかりの北神区役所が関係した真新しい案内図の隣にあったのは、道場町の案内図でした。ややくたびれた形の案内図でしたら、これが道場駅の前にあるとありがたかったね。もとよりJRの道場駅前においても、ふらっと道場を訪れる人も珍しいと思われるので、なかなか役に立たないのかもしれませんが。

 この案内図や手元のスマートフォンなどを頼りに神鉄道場駅をめざしていると、「松原城跡」という城跡があったのが分かります。駅のすぐそばということもあって、これは立ち寄ってみなくては。そう思って近づいていったのですが、行ってみると、こういう感じでした。

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原城の入り口

 「立入禁止」ですかそうですか。それでも史跡なのだから、何かあるだろうと思いつつ周囲をウロウロしても何も見当たらないので、これは誰かに聞くしかないのかなと思い、ラーメン屋さんに入ります。上の写真の立ち入り禁止の表示の左側に見えている建物が、ラーメン屋さん「中華そば ふじた」さんなのです。

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ワンタンメン

 思わずワンタンメンを注文してしまったのですが、美味しかったです。ネギの下に隠れて見えませんが、ワンタンも結構たくさん入っていました。松原城跡の話も聞いてみると、「いまは発掘調査中なので入れない」とのこと。なんでも開発があるので、という話でした。非常に残念です。それにしても史跡であることを示す案内板ぐらいはないのかと探してみると。立ち入り禁止を示すロープの随分向こうに、案内板が立っているのが見えました。残念ながら、案内板の中身を確認することはできませんでした。

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原城

 この築山みたいな小高い丘みたいな盛り上がりが、松原城跡です。神鉄道場駅を通り過ぎて、ニュータウン「鹿の子台」から撮影しました。松原城跡の向こう側にラーメン屋さんがある、という位置関係です。入れないはずなのですが、青い服を来た人がいますよね。作業員さんでしょうか? 何か作業をしている風情でもないですし、しかも訪れたのは祝日だったのですが。

 ところでこれ、戦国時代の歴史的な遺産だと思うわけですが、開発で取り壊してしまうのでしょうか。取り壊して何を作るのでしょうか。住宅とかショッピングセンターとか作るのなら、人口減少で空き家が増えているご時世。城跡のまま入場料を取った方が長い目で見てよほど儲かると思いますが・・・。

 

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 神鉄道場駅です。JRの道場駅とは反対側が正面になっています。ニュータウン「鹿の子台」に向けて開かれた駅舎ということでしょう。古くからの道場町の側は出入り口としては階段が一本あるだけで、簡素なものでした。ところで、この駅ですが、こんな看板も出ていました。

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 もっと早く気がつくべきだったのかもしれませんが、柔道場、空手道場、神鉄道場、という感じですね。神鉄について研鑽を積むには、ここに来る必要がありそうです。そういえば、ここに来るまでに「道場児童館」というのもありました。道場なのか、児童館なのか、はっきりしてほしいという要望は・・・たぶんないと思います。

 この辺の神戸電鉄は単線で、神鉄道場はすれ違いのできない駅ということです。ただこれ、航空写真を見ると、昔はすれ違いができる駅だったのを、線路を撤去した感じですね。いずれにしても、行きたい方向とは反対の電車がくると、しばらく目的の電車は来ないということになります。新開地方面行きの電車に乗ろうとしていると、三田行きの電車がくるということでしたので、しばらく駅の外にいることにしました。すると来た電車は、ちょうどヘッドマークを付けた電車でした。

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 「平成から令和へ」。神戸電鉄の列車のなかでも3編成しかない、このヘッドマークを付けた列車に偶然にも遭遇。幸先のよい令和のスタートだと思いたいです。

 

▽シリーズ「神戸ABCの旅」

 ・第3回 「C」 センタープラザ

 ・第2回 「B」 弁天町(べんてんちょう)

 ・第1回 「A」 相生橋(あいおいばし)

神戸ABCの旅(4)「D」道場(前編)

●第4回 「D」 道場(前編)

 シリーズ「神戸ABCの旅」の第4回です。神戸の地名をアルファベット順に1カ所ずつ訪ねていくうちに、長らく離れていた神戸の土地勘も戻るのではないか、という企画です。引き続きお付き合いください。

 Dで始まる地名は、どうしても来たかった場所「道場」です。

 JRには国鉄時代から、大都市向け特例制度があります。大都市を出発地または目的地とする長距離(201km超)の切符は、その都市内とJRが認める駅の最短距離までの運賃を適用する、というルールです。つまり尻手駅(神奈川県川崎市)から垂水駅(神戸市垂水区)まで乗車する場合、JRは横浜と川崎を一体とみなしていることもあり、戸塚駅横浜市戸塚区)から甲南山手駅(神戸市東灘区)までの料金を適用するという制度です。ちなみに東京都区内〜神戸市内は、往復するなら東京都区内〜西明石の方が600km超に適用される往復割引でお得になります。

 そこで気になるのは今回のテーマの「道場」です。なぜ気になっていたかというと、これです。

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交通新聞社「JR時刻表」より

 「(道場駅を除く)」。神戸市内行きの切符には必ず書いてあります。それで、切符を買うたびに「道場どこやねん」と思っていたのですが、これまで用事もなく、行く機会もありませんでした。そこで今回、道場を訪ねてみるのにはとても良い機会になったわけです。三ノ宮から970円。いったん尼崎に出て福知山線(JR宝塚線)に乗り換え、1時間ほどかかってたどり着いたのは道場駅

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無人駅だった

 電車が通り過ぎるとシーンとしている。無人駅でした。道場駅から千刈貯水池まで2.0kmだという案内表示がありました。あてもなく歩くわけにも行かないので、ひとまず神戸電鉄神鉄道場駅をめざします。少し歩けば、こんな風景でした。

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道場の田園風景

 のどかな風景。人口150万人の都市の一角とは想像も付かないような風景ですが、ここも確かに神戸市だというのが、電柱を見れば分かったりします。

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 電柱には確かに「神戸市」とあります。見覚えのある巻き物です。さらに歩いて行くと、道に植えられた遅咲きの桜、ヤエザクラ?ヤマザクラ?が満開でした。

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歩道に植えられた桜が満開

 この辺りは武庫川の支流、有馬川の川沿いを歩けるように遊歩道が整備されています。そして川沿いを歩いていると月見橋に差し掛かったところで、「松風」「村雨」という平安時代の姉妹と出会ってしまいます。

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月見橋の案内板

 松風、村雨の姉妹といえば須磨の海岸から須磨離宮公園に向かう途中、離宮道の途中に「松風村雨堂」という、姉妹の供養塔などをまつった建物があります。謡曲の「松風」でも知られています。須磨に流された在原行平(業平の兄)が、須磨の浦で出会った姉妹を愛人にします。行平が京に戻った後も、姉妹は行平を慕い続けたという話です。須磨の松風&村雨姉妹が月を眺めた場所というけど、須磨からは遠いのはどうなっているのだろうという疑問が浮上するのですが、そこは「詳細は塩田八幡宮の立て札参照」だそうです。やや乱暴な気もするけど、特に急いでいるわけでもないので塩田八幡宮をめざすことにします。

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かや葺きの家屋

 塩田八幡宮の入り口までは歩いて10〜15分の道のりなのですが、途中でかや葺きの家屋を見かけました。立派なお家です。神戸市北区はかや葺きの民家が700棟ほどあるそうで、日本でも有数のかや葺き農家が残っている地域なのだというのを聞いたことがあります。かや葺き農家が残ったのはなぜか。維持ができたということや、工場用地などに使われなかったとか、複合的な要因があるのでしょう。そんなことを考えながら歩いているうちに、塩田八幡宮の入り口まで到着しました。

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塩田八幡宮の参道入り口

 なんか立派な神社。本殿は小高い丘の中腹にあるようなのですが、その登り口にたどり着くまでに参道が整備されています。緑の柱に小さな屋根がついた架線柱のような構造物は、すべて電線で結ばれています。お祭りの時に提灯をさげ、提灯には電気で明かりが灯るのでしょう。こんな立派な神社を知りませず、申し訳ありませんでした。

 塩田八幡宮の本殿をめざして石段を登り始めるところの手前に、探していた例の立て札(案内板)がありました。

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厳島神社の外観

 写真の右下には「旧月見橋跡」という石碑が見えています。ここが、かつて月見橋があった場所だというのです。案内板によると、「摂津名所図会」では松風&村雨の姉妹は在原行平が京に戻った後、須磨の浦を引き払い、この地に住みつつ京の行平を恋い慕っていたことになっているそうです。ただ、須磨の松風村雨堂には、須磨の当地こそ行平が京に去った後、松風&村雨の姉妹が庵を結んだ地という説明があるようで、まあ諸説というわけですね。

 中世の日本では須磨も有馬もリゾート地なのでありまして、須磨は西国街道だし、有馬川沿いに有馬と京・大坂との人の往来があったことも想像に難くないというわけです。塩田八幡宮の周辺は、いまはすっかりのどかな場所ですが、にぎわった往時の名残りが松風村雨伝説ということなのでしょう。ちなみ往時とはいつか、という話なのですが、意外に最近のようなのです。1943年に三田〜有馬の国鉄有馬線が事実上廃止されるまで、この辺りは塩田駅の「駅前」でした。神戸電鉄の開業で有馬温泉までの動線が切り替わるまで、この辺はかなりにぎわっていたのではないかと想像されます。

 ちなみに旧月見橋の碑の隣には厳島神社という、ほこらがあります。

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厳島神社の境内

 これは神社の周りに堀を張り巡らせて、水流が変化する前、この地に月見橋があったころの様子を再現している、という説明が例の案内板に書いてありました。でも水に浮かぶ厳島神社って、平清盛が大事にしたという安芸の宮島を連想してしまいますよね。須磨といえば一ノ谷なので、松風&村雨平清盛に関連する伝説がセットになっていてもなんとなく理解できるような気もします。どうなんでしょう。田辺真人先生あたりにうかがうと、スラスラ答えてくださるのかもしれません。

 「立て札」は見つかり、所期の課題は解決しましたが、せっかくなので登ってみることにします。

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塩田八幡宮の参道・階段下

 本当に立派な神社でした。こんなの小学校3年の「わたしたちの神戸市」で習わなかったわけですが、郷土史がつまっている感じです。(後編に続きます)

神戸ABCの旅(3)「C」センタープラザ

●第3回 「C」 センタープラザ

 シリーズ「神戸ABCの旅」の第3回です。神戸の地名をアルファベット順に1カ所ずつ訪ねていくうちに、長らく離れていた神戸の土地勘も戻るのではないか、という企画です。引き続きお付き合いください。

 さて「C」で始まる地名ということで「チ」とか「チェ」とかで始まる地名を探したのですが、「T」と重なると思い断念。センター街かなと思って三宮に繰り出したところセンター街は「三宮センター街」が正式名称。これは「C」で始まっていないということが分かり、これまた断念。どうしたものかと思って三宮を歩いていると目に入ったのは、この看板でした。

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CENTER PLAZA

 

 複合ビル「センタープラザ」と「センタープラザ西館」は、ご覧の通り「C」で始まっています。というわけで第3回「C」は、このセンタープラザに決定しました。とはいえ、センタープラザには事前にアポも入れていないので、中の写真が撮りにくい。仕方がないので、建物の周囲をうろうろしてみるわけです。すると、センター街の華やかな印象とはまた違った、高架下にも似たムードの店舗が登場します。

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センター街の山側店舗

 さらに歩いていると「センタープラザ西館」には、こういう看板も。

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三宮市場の案内

 これらの写真はいずれも、その辺を歩いている人が映らないように、かなり苦労して撮影しています。これだけ見ると閑散とした場所のように思われるかもしれませんが、実際はかなり繁華な場所です。これは1階のセンタープラザの北側の歩道なわけですが、特にセンタープラザの地下1階の食堂街は、昼時ともなると特に多くの人でにぎわいます。安くて美味しいという、そもそも矛盾する要素を両立させた店が多いのもセンタープラザの地下、隣のさんプラザの地下もそうですが、ここらのお店の特徴ではないでしょうか。長く営業している店が多いということなのでしょう。

 それに地下1階に「市場」というのも珍しいですよね。少なくとも東京では見かけたことがありません(あったらすみません)。実際、この地下には八百屋さん、魚屋さん、乾物屋さんといった市場らしいお店が現役で営業中です。おそらく近隣の飲食店の仕入れ先になっているのではないでしょうか。特にセンタープラザ西館の地下は、飲食店も市場っぽい、通な設えの店が比較的多いように思います。

 そうした背景には、やはりセンタープラザ、さんプラザが建設された歴史をひも解く必要がありそうです。

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「こうべ 市政100周年記念」より

 1946年(昭和21年)ごろ、つまり第2次世界大戦の終結直後の三ノ宮駅南側だそうです。高架の上を蒸気機関車が走っています。これがいわゆる戦後のヤミ市で、これが公認されて三宮市場へと変わり、複合ビル「さんプラザ」「センタープラザ」の建設に伴って地下に潜った、ということのようです。高架の手前に2階建ての商店がひしめいている場所が、おおむね現在のさんプラザ、センタープラザですね。

 ところで、このセンタープラザは実は19階建て。完成した1975年(昭和50年)としては神戸でも有数の高層建築でした。神戸に高層ビルが増えたいまでも、高いビルとして目立っています。

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市役所24階の展望フロアから

 今となっては19階建てを高層ビルと呼ぶのかどうかという話もありますが、センタープラザの上層階が周囲のビルよりも抜きん出ているのが分かります。阪神淡路大震災の影響で、さんプラザの低層階を減築した影響もあるのでしょうか。余計に高く見えます。さて、最上階には何があるのか、という話なのですが、そうですね。中華料理の東天紅です。

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センタープラザ高層階行きエレベーター

 7階から上はオフィスビルとして使われているのですが、やはり最上階は眺望を活かした高級レストランというわけですね。高級レストランなのですが、手元で検索してホームページを見たらランチの「海の幸膳」「山の幸膳」は1600円(税別・サービス料別)。というわけで、ちょっと奮発してみたわけです。

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センタープラザ東天紅」からポーアイ方面

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東天紅からポートタワー方面

 神戸にも高い建物が増えたとはいえ、なかなかの眺望です。席に案内してくれた店員さんによると「天気が良いと『あべのハルカス』もはっきり見えますよ」とのことでした。宴会場からは山側の景色も見えるそうです。夜景も美しいのではないでしょうか。でも、夜は最も安いコースで4000円(税別・サービス料別)ですので、まあ何かの記念日とかですね。いい眺めだなと思って写真を撮りまくっていると、来ました。「海の幸膳」です。ご飯、お代わりしました。歌は世につれ、余は満足じゃ。

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ランチ「海の幸膳」

 ところで、「さんセンタープラザ」ですが、「さんプラザ」「センタープラザ」「センタープラザ西館」の3棟まとめて建て替えに向け調査に入るという新聞記事が今年に入って出ていました。「『調査』はしている」というのは前にも聞いたことがありました。ビルの運営会社「株式会社神戸サンセンタープラザ 」は神戸市の外郭団体なのですが、公表している2018年度(前年度)の事業計画で既に「当社としては引き続き、区分所有者等とともにビルの将来像のあり方について検討を進めていく」とあります。引き続き、ということは前からやっていたわけですね。しかも記事になったのが予算の時期だったので、新しい予算でも付いたのかと思い、発表された19年度の神戸市予算案を見ると3棟の建て替えに向けた調査は1000万円の「継続予算」。やっぱり新しい話ではなかった。急速な進展は見込めない印象ですが、それでも今年、話は進むのでしょうかどうでしょうか。

 とはいえ完成から約40年が経過し、阪神淡路大震災も経験したビルということで共通する兵庫県庁も建て替えに入ります。さんセンタープラザも時間の問題であることは間違いありません。ただ歴史的経緯から考えても、空き家問題や所有者不明土地問題と似たような構図の状況が発生していても不思議ではありません。三宮センター街や、さんセンタープラザのにぎわいを維持したまま建物の世代交代を実現するには、3棟一気にではなく1棟ずつ建て替えなくてはならないのではないかとか、でもそれでは時間がかかりすぎるとか、利害調整はきわめて面倒なのは分かります。神戸市議会とか公の場で議論をする必要も出てくるのではないでしょうか。

 

▽シリーズ「神戸ABCの旅」

 ・第2回 「B」 弁天町(べんてんちょう)

 ・第1回 「A」 相生橋(あいおいばし)

神戸ABCの旅(2)「B」弁天町

●第2回 「B」 弁天町(べんてんちょう)

 シリーズ「神戸ABCの旅」の第2回です。神戸の地名をアルファベット順に1カ所ずつ訪ねていくうちに、長らく離れていた神戸の土地勘も戻るのではないか、という企画です。アイウエオ順だと途中で飽きそうだし、なんとか26回ぐらいでひと区切りというわけです。よろしければ、引き続きお付き合いください。

 2回目ということで「B」のスタート地点に「弁天町」を選びました。そもそも神戸に弁天町という地名があると言われてもピンと来ないかもしれません。弁天町というと普通は大阪環状線の駅名にもなっている大阪市港区の地名です。しかし、あるとき、新神戸駅の観光案内所の前にある地図を何気なく見ていると、「弁天町」「弁天ふ頭」という文字に気づいたのです。

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新神戸駅の案内地図

 この辺は編集部からも近く、ホームセンターコーナンにはよく消耗品を補充に行くこともあり、わりと知っているつもりでした。しかし弁天町というのは聞いたことがなかったし、しかもこの辺は弁天「埠(ふ)頭」といっても岸壁には柵が取り付けてあって、船を着けられたようには思わないな、と気になっていました。それでとにかく確認してみようと。

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弁天埠頭

 新神戸駅の案内地図によると、これが弁天埠頭です。なるほど。ここだけは岸壁に柵がなく、船から伸びたロープを結んでおくビットという突起物( ┓ ←こういうやつ)も整備されている。確かに船が泊められるようになっている。埠頭という言葉はウソではなかった。埠頭は不当表示ではなかったわけです。そして、この左側は下山手通ぐらいから暗渠(あんきょ=地下河川)になっている宇治川の河口になります。

 弁天埠頭の奥に見えている体育館のような建物がホームセンターコーナンで、ここの町名が弁天町に該当するはずです。ですが、この周辺に「弁天町」を示す町名表示などが一切ありません。コーナンの店員さんに「ここって弁天町ですか?」って聞いてみたところで、聞かれても困るだろうし、どうしようかなと。そして弁天町というぐらいだから、昔は弁財天をまつっていたのか、といった案内板もなし。残念だな、元町商店街を通って編集部に戻ろうかなと思っていると、目に入ってきたのが大きな「弁天町」の文字でした。

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The Bentencho

 これ以上ない、というぐらい弁天町です。神戸駅方面からハーバーランドに向かうとき、いつも地下を通るので交差点の名前など気づかないのですが、この日はコーナンから神戸中央郵便局の方向に歩道橋を渡ったため、この交差点名に気づいたのでした。ただし町名の由来などは分からなかったので、ダメ元で調べてみようと思って神戸中央郵便局の前あたりでポケットからiPhoneを取り出し、「弁天町 神戸」で検索してみました。すると

弁天町という町名は平清盛勧進したという兵庫七弁天の一つである花隈弁天(厳島神社)に因む。 この花隈弁天は、平安時代の承安3年(1173年)に平清盛が経ヶ島を築造した際に、厳島明神を勧進して宮島の七浦に因んで7ヶ所に祀ったものの一つであったという。 花隈城が築かれた永禄10年(1567年)に花隈弁天は生田神社境内に移され、更に天明年間(1781年~1789年)に宇治川河口に移された。弁天の移された海岸は弁天浜と呼ばれ、これが町名の由来となった。

ウィキペディア「弁天町(神戸)」

……だそうです。意外にもしっかりした分量の説明がありました。

 そうか、やっぱり由緒のある地名だったのね、ということで、花隈弁天に足を運んでみました。すると、ちょうど桜が見頃。神社名は「厳島神社」だそうです。美しい。

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厳島神社(花隈弁天)

 そして、この左端に写っている由緒記をみると……。

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ここで知りたかった。

 ウィキペディアで読んだのとほぼ同じでした。図らずも、ウィキペディアの「弁天町(神戸)」の項目が正しかったのを検証してしまったのでした。しかも最初の弁天町、そして神戸中央郵便局、そして花隈と、まさに弁天さまが遷移した経路をたどって歩いてきたことも分かりました。なんという偶然。

 そして「神戸最初船場鎮守」でもあるのだそうです。そういえば平清盛が社殿を大きく整備したことで有名な広島県廿日市市の宮島も、神社名としては厳島神社。船の安全を祈願して、清盛が弁天さまを大事にしていたことがうかがえます。

 ちなみに清盛七弁天というルートがあって、順に①和田神社(安全弁天)、②真光寺(大楽弁天)、③能福寺(清盛くん)、④来迎寺(松王丸くん)、⑤恵林寺(運動弁天)、⑥氷室神社(恋愛弁天)、⑦氷室神社(恋愛弁天)、⑧厳島神社(健康弁天)という流れで8カ所の弁天さまを巡るようになっています。「神戸みなもとの道」だそうです。神戸のルーツを探る取り組みのようですので、第2回という早いうちに、ここを訪ねることができて、よかったと思います。今後の参考に、するかどうかは分かりませんが。

 花隈といえば、もとは花柳界があり、料亭街だったことでも知られています。遊び人として非常に有名だった初代兵庫県知事の伊藤博文が入り浸っていた家も花隈。第2次大戦後、徐々に廃れ、1995年の阪神淡路大震災で壊滅したという話を聞いたことがあります。その面影はと探してみると、意外にも料理屋さんが多いことに気づきます。ランチ営業しているお店の1つに入ってみました。

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料亭旅館「豊福」さんの天ぷら定食

 その名も「料亭旅館『豊福』」でした。うどんなどは500円程度で提供なさっているということで、お昼スポットとしては人気のようでした。このときに頂いたのは「天ぷら定食」で1000円でした。写真では分かりにくいかもしれませんが、えび天が2本も付いています。サクサクで美味しかったです。編集部からも遠くないので、また伺おうかと思います。

▽シリーズ「神戸ABCの旅」

 ・第1回 「A」 相生橋(あいおいばし)

 

「令和」の印象

 新元号「令和」の典拠は万葉集の梅花の歌三十二首の序文にある「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮(はい)後の香を薫す」だそうです。辞典を引いたところ、令月とは「何をするにも良い月、めでたい月、陰暦2月の異称」(デジタル大辞泉)だそうです。

 気象庁が桜の開花宣言をするかどうかが国民的関心事になるほど文化レベルが高く(これは皮肉でなく、本当にそう思う)、平和な国にふさわしいのではないかと思います。それに、いつも「令月」ということで、何をするにも良い気候であってほしい、そして「和」やかに過ごしたい、という願いが込められているとも読め、災害の多かった平成を経験した者としては切実感があるというかなんというか。過去には天災が起きると改元して、災害が再来しないよう願ったこともあったかと思います。

 天皇が時間を支配するのであれば主権在民になじまない、という議論については「そりゃあそうだけどさ」という印象です。そうはいっても、日本にしかないものだし。普段は(やはり元号は不便なので)西暦を使うわけだし、日本独自の花見はみんなするだろう、という印象です。どうでしょう、どの程度の共感を得ているのでしょうか。