神戸経済ニュース 編集長ブログ

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神戸ABCの旅(2)「B」弁天町

●第2回 「B」 弁天町(べんてんちょう)

 シリーズ「神戸ABCの旅」の第2回です。神戸の地名をアルファベット順に1カ所ずつ訪ねていくうちに、長らく離れていた神戸の土地勘も戻るのではないか、という企画です。アイウエオ順だと途中で飽きそうだし、なんとか26回ぐらいでひと区切りというわけです。よろしければ、引き続きお付き合いください。

 2回目ということで「B」のスタート地点に「弁天町」を選びました。そもそも神戸に弁天町という地名があると言われてもピンと来ないかもしれません。弁天町というと普通は大阪環状線の駅名にもなっている大阪市港区の地名です。しかし、あるとき、新神戸駅の観光案内所の前にある地図を何気なく見ていると、「弁天町」「弁天ふ頭」という文字に気づいたのです。

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新神戸駅の案内地図

 この辺は編集部からも近く、ホームセンターコーナンにはよく消耗品を補充に行くこともあり、わりと知っているつもりでした。しかし弁天町というのは聞いたことがなかったし、しかもこの辺は弁天「埠(ふ)頭」といっても岸壁には柵が取り付けてあって、船を着けられたようには思わないな、と気になっていました。それでとにかく確認してみようと。

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弁天埠頭

 新神戸駅の案内地図によると、これが弁天埠頭です。なるほど。ここだけは岸壁に柵がなく、船から伸びたロープを結んでおくビットという突起物( ┓ ←こういうやつ)も整備されている。確かに船が泊められるようになっている。埠頭という言葉はウソではなかった。埠頭は不当表示ではなかったわけです。そして、この左側は下山手通ぐらいから暗渠(あんきょ=地下河川)になっている宇治川の河口になります。

 弁天埠頭の奥に見えている体育館のような建物がホームセンターコーナンで、ここの町名が弁天町に該当するはずです。ですが、この周辺に「弁天町」を示す町名表示などが一切ありません。コーナンの店員さんに「ここって弁天町ですか?」って聞いてみたところで、聞かれても困るだろうし、どうしようかなと。そして弁天町というぐらいだから、昔は弁財天をまつっていたのか、といった案内板もなし。残念だな、元町商店街を通って編集部に戻ろうかなと思っていると、目に入ってきたのが大きな「弁天町」の文字でした。

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The Bentencho

 これ以上ない、というぐらい弁天町です。神戸駅方面からハーバーランドに向かうとき、いつも地下を通るので交差点の名前など気づかないのですが、この日はコーナンから神戸中央郵便局の方向に歩道橋を渡ったため、この交差点名に気づいたのでした。ただし町名の由来などは分からなかったので、ダメ元で調べてみようと思って神戸中央郵便局の前あたりでポケットからiPhoneを取り出し、「弁天町 神戸」で検索してみました。すると

弁天町という町名は平清盛勧進したという兵庫七弁天の一つである花隈弁天(厳島神社)に因む。 この花隈弁天は、平安時代の承安3年(1173年)に平清盛が経ヶ島を築造した際に、厳島明神を勧進して宮島の七浦に因んで7ヶ所に祀ったものの一つであったという。 花隈城が築かれた永禄10年(1567年)に花隈弁天は生田神社境内に移され、更に天明年間(1781年~1789年)に宇治川河口に移された。弁天の移された海岸は弁天浜と呼ばれ、これが町名の由来となった。

ウィキペディア「弁天町(神戸)」

……だそうです。意外にもしっかりした分量の説明がありました。

 そうか、やっぱり由緒のある地名だったのね、ということで、花隈弁天に足を運んでみました。すると、ちょうど桜が見頃。神社名は「厳島神社」だそうです。美しい。

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厳島神社(花隈弁天)

 そして、この左端に写っている由緒記をみると……。

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ここで知りたかった。

 ウィキペディアで読んだのとほぼ同じでした。図らずも、ウィキペディアの「弁天町(神戸)」の項目が正しかったのを検証してしまったのでした。しかも最初の弁天町、そして神戸中央郵便局、そして花隈と、まさに弁天さまが遷移した経路をたどって歩いてきたことも分かりました。なんという偶然。

 そして「神戸最初船場鎮守」でもあるのだそうです。そういえば平清盛が社殿を大きく整備したことで有名な広島県廿日市市の宮島も、神社名としては厳島神社。船の安全を祈願して、清盛が弁天さまを大事にしていたことがうかがえます。

 ちなみに清盛七弁天というルートがあって、順に①和田神社(安全弁天)、②真光寺(大楽弁天)、③能福寺(清盛くん)、④来迎寺(松王丸くん)、⑤恵林寺(運動弁天)、⑥氷室神社(恋愛弁天)、⑦氷室神社(恋愛弁天)、⑧厳島神社(健康弁天)という流れで8カ所の弁天さまを巡るようになっています。「神戸みなもとの道」だそうです。神戸のルーツを探る取り組みのようですので、第2回という早いうちに、ここを訪ねることができて、よかったと思います。今後の参考に、するかどうかは分かりませんが。

 花隈といえば、もとは花柳界があり、料亭街だったことでも知られています。遊び人として非常に有名だった初代兵庫県知事の伊藤博文が入り浸っていた家も花隈。第2次大戦後、徐々に廃れ、1995年の阪神淡路大震災で壊滅したという話を聞いたことがあります。その面影はと探してみると、意外にも料理屋さんが多いことに気づきます。ランチ営業しているお店の1つに入ってみました。

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料亭旅館「豊福」さんの天ぷら定食

 その名も「料亭旅館『豊福』」でした。うどんなどは500円程度で提供なさっているということで、お昼スポットとしては人気のようでした。このときに頂いたのは「天ぷら定食」で1000円でした。写真では分かりにくいかもしれませんが、えび天が2本も付いています。サクサクで美味しかったです。編集部からも遠くないので、また伺おうかと思います。

▽シリーズ「神戸ABCの旅」

 ・第1回 「A」 相生橋(あいおいばし)

 

「令和」の印象

 新元号「令和」の典拠は万葉集の梅花の歌三十二首の序文にある「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮(はい)後の香を薫す」だそうです。辞典を引いたところ、令月とは「何をするにも良い月、めでたい月、陰暦2月の異称」(デジタル大辞泉)だそうです。

 気象庁が桜の開花宣言をするかどうかが国民的関心事になるほど文化レベルが高く(これは皮肉でなく、本当にそう思う)、平和な国にふさわしいのではないかと思います。それに、いつも「令月」ということで、何をするにも良い気候であってほしい、そして「和」やかに過ごしたい、という願いが込められているとも読め、災害の多かった平成を経験した者としては切実感があるというかなんというか。過去には天災が起きると改元して、災害が再来しないよう願ったこともあったかと思います。

 天皇が時間を支配するのであれば主権在民になじまない、という議論については「そりゃあそうだけどさ」という印象です。そうはいっても、日本にしかないものだし。普段は(やはり元号は不便なので)西暦を使うわけだし、日本独自の花見はみんなするだろう、という印象です。どうでしょう、どの程度の共感を得ているのでしょうか。

神戸ABCの旅(1)「A」相生橋

●第1回 「A」 相生橋(あいおいばし)

 「神戸ABCの旅」というシリーズを始めたいと思います。アルファベットが頭文字になっている地名を順番に訪ねていくうちに、長らく離れていた神戸の土地勘も戻るのではないか、という企画です。アイウエオ順だと途中で飽きそうだし、なんとか26回ぐらいでひと区切りというわけです。よろしければ、お付き合いください。

 アルファベット順なので第1回目は「A」。スタート地点には「相生橋」を選びました。相生橋兵庫県の道路元標があるのをなんとなく知っていたので、スタートにはふさわしいかな、と思ったのです。というわけでスタート。

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兵庫県道路元標

 「里程元標」というのは明治の初め、全国の里程を確定するために作った道路元標だそうです。側面には「明治四十三年」とあったので、最初に建てられた元標ではないのかもしれません。右下に見える小さな石碑風の案内板を読んでみると、「兵庫県の里程元標は相生橋の西詰にあったが、昭和6年、国鉄高架線の完成により、相生橋の撤去と共に取り除かれ保存されていた」ということで昭和35年(1960年)に改めて立てられたことがわかります。

 しかし、さらに左下には金属の説明プレートが貼り付けてあります。「昭和35年湊川神社の正門東側に移されていました。このたび、きらら広場の改修にあたり、地域のみなさまのご要望をいただき、この場所に再度移設しました。平成16年3月 神戸市」とのこと。1960年に立てられた場所は湊川神社の前だったわけですね。そして平成16年といえば2004年というから比較的最近。なぜ、ここに道路元標があると知っていたのだろう? そして、なぜ「きらら広場」は浸透しなかったのか。

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人生とは旅であり、旅とは人生である

 相生橋というのは場所からして、宇治川にかかる橋かと思いきや、日本で最初の跨線橋、つまり線路をまたぐ橋なのだそうです。そういえば小学校3年生あたりの「わたしたちの神戸市」に載っていた絵の淡い記憶をたどって検索してみれば、出てきました。「神戸名所之内 蒸気車相生橋の図」ですな。確か、この道は西国街道ではなかったか。とにかく人通りが多いところに鉄道を通す必要があったからこその、日本最初の立体交差だったのでしょう。当時としては珍しかったので、版画にもなったわけですね。

 当時はたいへんにぎわった場所なのでしょう。付近には「創業明治4年」という精肉店「大井肉店」もあります。「相生橋」の名前が高架橋に残っていればいいなと思ってJRのガードに近寄ってみましたが、残念ながら相生橋の名前はありませんでした。ただここが、東京から589.106キロメートルだというのは分かりました。

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 この高架橋をくぐると、湊川神社の目の前に出ます。毎年100万人を超す初詣客を集める、非常に高名な神社です。湊川神社の通称は「楠公さん」。この地で没した楠木正成徳川光圀が再発見し、幕末になると天皇への忠義に関心が集まったことで神社にしようという機運が高まり、明治天皇が神社の創建を命じたというのがウィキべディアの説明です。楠木正成は「太平記」の主要な登場人物ですが、改めて楠木正成を主人公にしたNHK大河ドラマを作ってほしいという署名活動があるようです。ただ個人的にはネットフリックスにしてもらえると助かります。

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 この周辺は楠木正成に対するリスペクトがものすごいです。たとえば、湊川神社の前を東西に走るのは「多聞通り」という大きな道路です。湊川神社内の案内板を読んでいて知ったのですが、実は楠木正成の幼名が「多聞丸」だったといいます。多聞通りが湊川神社にちなんだ名前だったとは。もしかして知らなかったのは私だけ? それに、湊川神社の西側。最近たまに話題になる「神社ウエスト」(神姫ウエストではない)と神社の間を抜けて、神戸文化ホールに向かう坂道の街路樹もクスノキでした。とはいえクスノキの街路樹は多いので、どこまで意識しているのかは不明ですが……。

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さらに、お昼ご飯を食べようと思って入ったお店も、「くすの樹」さんでした。かつおのたたき定食。おいしかったです。

 

学生向け売店は「ビゴの店」 重要文化財・神戸女学院

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神戸女学院 案内板

 重要文化財の校舎を公開するというので、神戸女学院(西宮市)に行ってきました。建築好きの友人が一般公開の抽選に当たった、しかも3人まで入れるというので、友人に付いて行ってきた次第。校舎の写真は個人的に撮影するのは構わないとのことでしたが、ネット上で公開するのは控えてほしいということでしたので、残念ながら案内板の写真でご勘弁を。

  お寺などで重要文化財に指定される場合、たとえば五重塔だけが指定されたり、仏像だけが指定されたりするものですが、神戸女学院の場合は校舎すべてが指定されたので、校地全体を文化財ととらえて管理しているそうです。建築はあまり詳しくないのですが、戦前の洋風建築が持つ独特の雰囲気を味わうことができました。

  神戸女学院は現在、西宮市内にありますが、発祥地は神戸市中央区の山本通だというので、現在は異人館が点在する地域です。「年六和昭」(昭和六年)という礎石がありました。その時代に活躍していたのが、神戸女学院の校舎を設計したイギリス人の建築家ウィリアム・ヴォーリズというわけですね。関西学院大学同志社大学などの学校建築や教会、個人宅など幅広く手がけた建築家です。

  2カ所ある構内の売店のうち1カ所は「ビゴの店」だったというのは知りませんでした。ビゴの店のホームページの「店舗案内」にも掲載されていません。隠れ店舗?に驚きました。パンが美味しいと勉強もはかどるのは常識です。もう1カ所の売店セブンイレブン。校章がデザインされた文房具など、神戸女学院グッズを販売していました。

  2018年度の見学会は残る1回が今月16日ですが、すでに満員とのこと。19年度の見学会予定は4月中旬ごろに神戸女学院のホームページに案内が掲載されるそうです。

 

「BE KOBE」の碑に柔軟な発想を?

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  よじ登る人がやたらと多いので地面と碑の接合部に亀裂が入り、それで修理をしているのだそうだ。スタバで飲み物を買おうと思って、たまたま近くを通りがかったところ、工事中であるにもかかわらず、これを背景に記念撮影している人がいた。そこまでの人気だとすれば、もういくら「登らないで」といった注意喚起をしても無理だろう。よじ登る人をゼロにするのは難しい。

 そこで神戸市に提案したいのは、もう物理的に登れなくしてしまってはどうか。スポンジのような柔軟な素材を使えば、よじ登ろうとした瞬間に沈んでしまう。しかし普段はきちんと立っているので、普通に記念撮影する分には何の問題もないし、ライトアップだってできる。

 つまり、「BE KOBE」だけに最初からベコベコ(BEKOBEKO)の素材を使うという・・・あきませんやろか。そらあかんわな。

 

(冗談を書いているので、マジレスするのはやめてください)