神戸経済ニュース 編集長ブログ

神戸経済ニュース(https://news.kobekeizai.jp)の編集長・山本学のブログです

「白旗」のサイン

 ネット上で見かける論争では、論理が詰まっていない人の典型的な特徴があって興味深い。そういう人は、なぜか多くの場合に言葉遣いが攻撃的だ。態度が居丈高とでもいうべきか。そして、あなたのいうことはおかしいですよと論理的に指摘されると「理解できないお前が悪い」とか言い出す。そんな証拠あるのと問われると、「お前が探せ」とか言い出す。

 自分で分かりやすく説明する能力がないのなら、最初から偉そうにしなければいいのに、と思う。残念ながらネット上でなくても普段から、そういう人っている。会社でエラいポジションの人に多いというのは思い込みだろうか。偉そうにして実は白旗を掲げてるのって、おそらく自分が思っている以上に惨めに見えるのではないか。気をつけたい。

 

暑さでノビる。

 自転車の「虫ゴム」を交換した。前回交換したのは東京だったから、2年半以上取り替えていなかったことは間違いないが、やはりこの暑さでゴムが伸びてしまったのだろうか。こちらは暑さでノビる寸前だ。室内ではエアコンを使うにしても、移動する屋外の暑さには困る。そして室内外の温度差も体力を使いそう。虫ゴムのようにならないよう、いかにして暑さを乗り切るか。

それでもパンダは必要?

 神戸市の王子動物園にいるパンダが返還される。中国が香港の1国2制度を守らないとか、海洋進出が激しいとか、少数民族に対する虐待の疑惑とかが膨らむ中で、代わりのパンダに中国から来てほしいと素直に言いにくい情勢になったきたのではないか。パンダを送ることで、パンダ以上の物が得られるのなら、中国はどんどんパンダを送って寄越すだろうということ。

しかし、いまさら…

 

 サンテレビなのですね。テレビなんて一瞬、見逃したら2度と見られないのに、なぜ議員さんたちは、この期におよんでサンテレビなのだろう。自分たちの感覚を子供に当てはめない方が良い。ちょっと絶望的な気持ちになる。

 いまの子たちにとって、テレビよりもYouTubeの方が100万倍便利だ。繰り返し見られるし。見逃しても好きなときに見直せる。15分程度ならギガ数(情報量)もたいしたことないだろう。いまどきテレビがなくてもスマホがある家の方が多いのでは。

 それでもまだ子供にテレビを見せることが必要なのだろうか。

 

4月とか9月とか、両方あればよいのでは。学校の始業について

 学校の始業時期を4月から9月に変更する議論が出ている。9月に変えたい派の根拠も、変えたくない派の根拠もよく分からない。そもそも、学校だけがなぜ4月(または9月)に一斉に始まらなくてはならないのか。

 就職のことを考えるとすれば、企業は通年採用制に移行する過渡期だ。新卒一括採用が今後、なくなるのかどうかは分からない。だが、ロボット技術の発達でいわゆる工場労働者のような規格化された労働力の必要性が薄れることを考えれば、新卒一括採用も必要性が薄れていくことは間違いない。

 それに、企業の1年間を示す決算期は、別にいつ始めてもよい。上場会社の約8割は3月期決算、つまり4月1日に始まって翌年3月末までの1年間で業績を計算する。神戸の上場企業だと、シスメックス川崎重工業神戸製鋼所などがそうだ。しかし同じ3月期でも、3月20日が期末で、3月21日に新年度という会社もある。アジュバンコスメジャパンがそうだ。

 1月に始まって12月に終わる、暦年と決算期が同じなのは住友ゴム工業、アシックス、ノーリツなど。世界的にみると、むしろこちらの方が主流だ。個人事業や、サラリーマン個人の収入も税務上、12月決算という形になっている。

 百貨店やスーパーなどの小売業は2月期決算が多い。大阪にはキーエンスというセンサーの会社があって、いわゆる節税のために決算期をコロコロ変えていて、業績が過去と比較しにくいので投資家には不評だったが、別に違法ではない。企業だって必ず4月ではなくて、決算期に合わせて採用できれば、そりゃあ予算も立てやすいだろう。

 たとえば学校によって1月、4月、9月といった具合にスタートの時期が異なれば、児童や生徒の側の選択肢が広がる。1月に始まる学校に入学したけれど、合わなかったから4月始まりの学校に転校、といったことだってできる。

 学期制にも多様性が出てくるだろう。長い休みが学校外での学習の機会だとするならば、夏ではなくて秋の気候のいい時期に長い休みを設定してもよさそうなものだ。

 学校の始業を4月から9月に移したい勢力は昔からいた。別にそれは時代の流れでも、新しいことでも、なんでもないのではないか。むしろ9月でなくてはならない、と選択肢を1つに固定しようとする動きが、利権の誘導のように見えて古めかしい。

 だから新型コロナウイルスの混乱に乗じて、火事場泥棒的に変更してしまうのは、やはり子供に見せる大人の態度としてかなり問題があると言わざるを得ない。議論するべきことがあるとするなら、学校長の判断で何月始まりか自由にできるようにすることだろう。

 

 

新型コロナ、国政も報道も気持ち悪い

 新型コロナウイルスを巡る緊急事態宣言を政府が全国に拡大したのは、ちょっと根拠が不明だ。感染者数は累計だと増えるのは当然だし、それが一部で指摘されているような「指数関数」(結果Yは、原因Xのn乗に比例して増加するとかいうやつ)の増えかたには一向にならない。なぜか厚労省は専門家会議の答申とは別のルートで「何もしなければ42万人死ぬ」という、1人の感染者が平均的に2.5人に感染させるという謎の前提(実際は2人を下回っていると専門家会議が認めている)に基づいた試算を発表した。報道によると、なぜか官邸が緊急事態宣言を全国に拡大すると先に決め、それを専門家会議が追認した。緊急事態宣言は専門的見地に基づいた判断とは考えにくい。

 日本、台湾、韓国で感染者数が少なく、感染した人も重症化しにくいのは、多くの国民にBCGの予防接種を受けさせていることが寄与しているという説がある。いまのところ、これを反証する事例は見当たらないという。BCGの接種が新型コロナウイルスの対策に寄与しているのだとすれば、外出の抑制だとか何だとか、っていうのは政策としてまったく無意味になるように思う。クラスター対策も不要だ。だが、専門家会議には(首相官邸にも)無視されている。そもそも日本よりも、よほど厳しい外出抑制を実施した外国は、日本よりも感染の押さえ込みに成果をあげているのだろうか。

 多くの報道も謎の根拠をもとにした「人との接触を8割削減すれば2週間で感染者数が減る」という試算を無批判で受け入れている。ほんまかいな。感染爆発したニューヨークは2週間後の東京だと、2週間以上も前から言っていた人の試算を無批判に受け入れられるのか。しかし芸能人は「がんばろう」と訴え、報道は「しっかりと手洗い」を強調する。3月下旬に日々確認される感染者数が増えたのは「気の緩み」だというが、検査数が増加したことには、なぜか言及しない。

 そもそも「気の緩み」ってなんだろう。出歩く人の減少率が小さいことで「神戸は危機感が足りない」という批判もあるようだ(もともと出歩いている人が少ないことへの言及はない)。そんな精神論で乗り切ろうとしているのか。それを、のうのうと報道するべきなのだろうか。

 確かに欧米では何万人という人が亡くなっていて、感染症の怖さが改めて印象付けられている。だが、日本ではそうなっていないことこそニュースなのではないか。その理由は何なのか。本来の新型コロナウイルス感染症の姿とはどういったものなのか。ここまで経済を止めてまで対処する価値のあるものなのか、正しく評価できているのか。危機をあおってばかりの国政と、それに追随する新聞やテレビの報道は、かなり気持ちが悪い。国政は知らんけど、少なくとも報道は早晩、軌道修正が必要になるだろう。最初の緊急事態宣言から2週間が経過する21日ごろが、1つの転換点になるのだろうか。