足立区の話題かと思ったら、ガザ地区の話だった。
神戸ルミナリエ
・点灯式こそ入場料100円にすればよいのでは。
・有料エリアの近くで募金しても効率が悪いのでは。
イントネーション
本来「アクセント」というべきところを「イントネーション」と誤った用例を、特にテレビで多く見かける。どうでもいいけど非常に気になる。いわゆる「お国なまり」は、すべてアクセントだ。イントネーションは日本語でいうと抑揚。大げさな話し方をする人を「抑揚たっぷり」というけど、イントネーションはそういう話のはず。誰が言い出したのか知らんけど、この人は日本語訳を間違って覚えているな、ということは多い。本当にどうでもいいけど。
地域通貨とフードドライブ
地域通貨の問題点は、ひとえに「通貨価値が不明のため流通しない」ということに尽きるだろう。普及を目的に日本円との交換を約束した瞬間に、地域通貨は有価証券というか少なくとも金融商品になるので、素人には扱えないものになるから、結局は普及しないという循環になる。
仮に地域通貨を通貨として使えるように、日本円と交換することを約束したとしても、通貨の発行体(通貨発行者)の信用力によって交換レートが日々変化することだろう。そうした諸問題を一挙に理解するためのシミュレーションとして思い出したのは、「溜池通信」さんの「みずほ銀行券」だ。
ところで「援助物資」に需給調整は難しい。施設の子どもたちにと寄付された生鮮食品は、実は消化できずにこっそり捨てられている現実があるという。かくなる上は、子どもたちが欲しい時に欲しい食品を調達できるようにと、地域通貨を使おうという発想がある。物を寄付する代わりに地域通貨を発行して、必要に応じて使ってもらう形だ。
お金を寄付するのではなく、使える店舗を限定することで、薬物などの反社会的な品目にお金を投じなくて済むようにするのが狙いだという。発想としては地域通貨というより商品券やクーポンに似ている。
フードドライブで生鮮品を集めるのは無理かもしれないが、ちょっとした冷蔵が必要な物でも公共の冷蔵庫(可能なのかわからないが)の運営費があれば、子供食堂や福祉施設などの献立に幅が出るだろう。子供食堂が冷蔵庫内の食品と引き換えにクーポンで支払いができるとすれば、クーポンを発行した企業の善意も生きるというわけだ。公共の冷蔵庫も早い者勝ちにならず済む。
肝要なのはクーポンを多目的化して、通貨に近づけば近づくほど一種のインフレ的な現象が起きてクーポンが使いにくくなるということだ。だから資本主義の国であり、貨幣経済の国であるアメリカではクーポンが発達したのだろう。地域通貨といわずにクーポンと割り切ってしまえば、発行にかかる費用を行政が一部負担するといった支援もしやすくなるのではないか。