神戸経済ニュース 編集長ブログ

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神戸ABCの旅(1)「A」相生橋

●第1回 「A」 相生橋(あいおいばし)

 「神戸ABCの旅」というシリーズを始めたいと思います。アルファベットが頭文字になっている地名を順番に訪ねていくうちに、長らく離れていた神戸の土地勘も戻るのではないか、という企画です。アイウエオ順だと途中で飽きそうだし、なんとか26回ぐらいでひと区切りというわけです。よろしければ、お付き合いください。

 アルファベット順なので第1回目は「A」。スタート地点には「相生橋」を選びました。相生橋兵庫県の道路元標があるのをなんとなく知っていたので、スタートにはふさわしいかな、と思ったのです。というわけでスタート。

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兵庫県道路元標

 「里程元標」というのは明治の初め、全国の里程を確定するために作った道路元標だそうです。側面には「明治四十三年」とあったので、最初に建てられた元標ではないのかもしれません。右下に見える小さな石碑風の案内板を読んでみると、「兵庫県の里程元標は相生橋の西詰にあったが、昭和6年、国鉄高架線の完成により、相生橋の撤去と共に取り除かれ保存されていた」ということで昭和35年(1960年)に改めて立てられたことがわかります。

 しかし、さらに左下には金属の説明プレートが貼り付けてあります。「昭和35年湊川神社の正門東側に移されていました。このたび、きらら広場の改修にあたり、地域のみなさまのご要望をいただき、この場所に再度移設しました。平成16年3月 神戸市」とのこと。1960年に立てられた場所は湊川神社の前だったわけですね。そして平成16年といえば2004年というから比較的最近。なぜ、ここに道路元標があると知っていたのだろう? そして、なぜ「きらら広場」は浸透しなかったのか。

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人生とは旅であり、旅とは人生である

 相生橋というのは場所からして、宇治川にかかる橋かと思いきや、日本で最初の跨線橋、つまり線路をまたぐ橋なのだそうです。そういえば小学校3年生あたりの「わたしたちの神戸市」に載っていた絵の淡い記憶をたどって検索してみれば、出てきました。「神戸名所之内 蒸気車相生橋の図」ですな。確か、この道は西国街道ではなかったか。とにかく人通りが多いところに鉄道を通す必要があったからこその、日本最初の立体交差だったのでしょう。当時としては珍しかったので、版画にもなったわけですね。

 当時はたいへんにぎわった場所なのでしょう。付近には「創業明治4年」という精肉店「大井肉店」もあります。「相生橋」の名前が高架橋に残っていればいいなと思ってJRのガードに近寄ってみましたが、残念ながら相生橋の名前はありませんでした。ただここが、東京から589.106キロメートルだというのは分かりました。

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 この高架橋をくぐると、湊川神社の目の前に出ます。毎年100万人を超す初詣客を集める、非常に高名な神社です。湊川神社の通称は「楠公さん」。この地で没した楠木正成徳川光圀が再発見し、幕末になると天皇への忠義に関心が集まったことで神社にしようという機運が高まり、明治天皇が神社の創建を命じたというのがウィキべディアの説明です。楠木正成は「太平記」の主要な登場人物ですが、改めて楠木正成を主人公にしたNHK大河ドラマを作ってほしいという署名活動があるようです。ただ個人的にはネットフリックスにしてもらえると助かります。

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 この周辺は楠木正成に対するリスペクトがものすごいです。たとえば、湊川神社の前を東西に走るのは「多聞通り」という大きな道路です。湊川神社内の案内板を読んでいて知ったのですが、実は楠木正成の幼名が「多聞丸」だったといいます。多聞通りが湊川神社にちなんだ名前だったとは。もしかして知らなかったのは私だけ? それに、湊川神社の西側。最近たまに話題になる「神社ウエスト」(神姫ウエストではない)と神社の間を抜けて、神戸文化ホールに向かう坂道の街路樹もクスノキでした。とはいえクスノキの街路樹は多いので、どこまで意識しているのかは不明ですが……。

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さらに、お昼ご飯を食べようと思って入ったお店も、「くすの樹」さんでした。かつおのたたき定食。おいしかったです。