神戸経済ニュース 編集長ブログ

神戸経済ニュース(https://news.kobekeizai.jp)の編集長・山本学のブログです

新型コロナ、国政も報道も気持ち悪い

 新型コロナウイルスを巡る緊急事態宣言を政府が全国に拡大したのは、ちょっと根拠が不明だ。感染者数は累計だと増えるのは当然だし、それが一部で指摘されているような「指数関数」(結果Yは、原因Xのn乗に比例して増加するとかいうやつ)の増えかたには一向にならない。なぜか厚労省は専門家会議の答申とは別のルートで「何もしなければ42万人死ぬ」という、1人の感染者が平均的に2.5人に感染させるという謎の前提(実際は2人を下回っていると専門家会議が認めている)に基づいた試算を発表した。報道によると、なぜか官邸が緊急事態宣言を全国に拡大すると先に決め、それを専門家会議が追認した。緊急事態宣言は専門的見地に基づいた判断とは考えにくい。

 日本、台湾、韓国で感染者数が少なく、感染した人も重症化しにくいのは、多くの国民にBCGの予防接種を受けさせていることが寄与しているという説がある。いまのところ、これを反証する事例は見当たらないという。BCGの接種が新型コロナウイルスの対策に寄与しているのだとすれば、外出の抑制だとか何だとか、っていうのは政策としてまったく無意味になるように思う。クラスター対策も不要だ。だが、専門家会議には(首相官邸にも)無視されている。そもそも日本よりも、よほど厳しい外出抑制を実施した外国は、日本よりも感染の押さえ込みに成果をあげているのだろうか。

 多くの報道も謎の根拠をもとにした「人との接触を8割削減すれば2週間で感染者数が減る」という試算を無批判で受け入れている。ほんまかいな。感染爆発したニューヨークは2週間後の東京だと、2週間以上も前から言っていた人の試算を無批判に受け入れられるのか。しかし芸能人は「がんばろう」と訴え、報道は「しっかりと手洗い」を強調する。3月下旬に日々確認される感染者数が増えたのは「気の緩み」だというが、検査数が増加したことには、なぜか言及しない。

 そもそも「気の緩み」ってなんだろう。出歩く人の減少率が小さいことで「神戸は危機感が足りない」という批判もあるようだ(もともと出歩いている人が少ないことへの言及はない)。そんな精神論で乗り切ろうとしているのか。それを、のうのうと報道するべきなのだろうか。

 確かに欧米では何万人という人が亡くなっていて、感染症の怖さが改めて印象付けられている。だが、日本ではそうなっていないことこそニュースなのではないか。その理由は何なのか。本来の新型コロナウイルス感染症の姿とはどういったものなのか。ここまで経済を止めてまで対処する価値のあるものなのか、正しく評価できているのか。危機をあおってばかりの国政と、それに追随する新聞やテレビの報道は、かなり気持ちが悪い。国政は知らんけど、少なくとも報道は早晩、軌道修正が必要になるだろう。最初の緊急事態宣言から2週間が経過する21日ごろが、1つの転換点になるのだろうか。

 

オンライン飲み会

 オンライン飲み会。いまさら話題になっているけど、個人的には以前あった「Google+」(グーグルプラス)のハングアウト機能(現在のグーグルハングアウト)を使って、東日本大震災の直後ぐらいから結構頻繁に参加していた。きっかけは震災とは特に関係なかったのだけれど、そのころ東京から地方に引っ越す友達が多かったことだ。つい先週も当時の友達で集まった。自分は神戸にいて、友達は東京、川崎、名古屋、京都といった具合だ。

 残業中、すでに飲み会を始めている居酒屋と自分の職場をつないで、居酒屋トークに口をはさみながら仕事をしたという不埒なことも過去にはあった(どう考えても捗らないので結局、いったん途中で接続を切ったかもしれない)。

 大型テレビに簡単なコンピューターを組み込んでネット接続し、テレビ電話で孫と離しませんかという売り方をしていた家電メーカーもあったが、定着しなかったようだ。しかし、今回の新型コロナをきっかけに、これまでは(おじさんたちがやりたくないという理由で)変わり者のすることだった(とされていた)テレワークも定着。不謹慎かもしれないが、災禍は時代を変えることを実感する。

 

「ゆるキャン△」

 放送の終わった「ゆるキャン△」のドラマに好感を持ったのは、関西弁で話す登場人物「犬山あおい」の関西弁が正確だったからだ。耳のいい役者さんなのだと思われる。

 それにしても、山梨県はそんなにアウトドアが盛んなのだろうか。確かに立地はキャンプに向いている気はする。富士山の裾野にはキャンプに適した場所が多いのも分かるが、実際はどうなのだろう。

 神戸は山が近い割には、キャンプ場がそれほど多いわけではない。六甲山に登っても日帰りできるからだろう。人工スキー場を夏季に利用する「六甲山カンツリーハウス」でも、できるのはデイキャンプ(バーベキュー)だけだ。

 ただ野営とかアウトドアは楽しいばかりでなくて、万が一の時に役に立つ知識がいろいろある。そういう観点でキャンプ道具が家にあるのは悪くないし、ソロキャンプをきっかけにラジオを聞く習慣が身につくなら、さらに良いのではないか。

 

新型コロナ感染者、常識的すぎる神戸市の判断

 神戸市内で判明した新型コロナウイルスの感染者が何区に住んでいるのか、何線を使って通勤したのか明らかにしなかったことで、一部の人が反発していると、神戸新聞が伝えている。しかし、神戸市の判断は、あまりにも常識的で、妥当というほかない。仮に感染者が神戸市中央区の住民だったとして、中央区から引っ越すのだろうか。それで感染が防げるのだろうか。あるいは、まだ感染者がみつかっていない芦屋市や明石市に引っ越せば、感染は免れるのだろうか。

 また「自分がウイルスを撒(ま)き散らさないように、感染者と同じ空間に居たかどうかを知りたい」という観点から、感染者が利用していた路線を知りたがる人もいる。それならむしろ、そんなあなたの今の体調を心配した方がよいのではないか。ウイルスを撒き散らすとき、せきが出るとかクシャミをするとか、何らかの身体的な動作を伴う。そういう状態になれば会社や学校を休めばいいだけだ。つり革などからの接触感染を心配するなら、きちんと手を洗うべきだ。それらは日本だけで年間数千人(2019年は3000人超)の死者が出ているインフルエンザの対策にもなる。

 アフラックは自社の従業員が感染者であることを公表したが、それはアフラックの判断だ。公表することが保険会社としての評価を高めるということに相違ない。いわゆるリスク・コミュニケーションで、その意図はなくても黙っていると「隠蔽だ」とメディアに攻撃されるという判断だと考えられる。特にアフラックの感染者が所属したコールセンターは、人の密度が高い職場なので、感染を防止する対策を取ったとアピールすることは、会社の評判を維持するためにきわめて有効だろう。アフラックが自社に感染者が発生したのを明かすのが、彼らの企業価値に影響するという判断は合理的だ。

 3月5日に開かれた神戸市長の記者会見の動画を見れば分かるが、神戸新聞は神戸市が感染者の個人情報を明かすことにこだわって、複数回にわたって別の記者が類似の質問をしている。感染者がどんな人かを具体的に報じることは、事件事故の被害者のプライバシーが注目されるのと同じで、のぞき見趣味にかなう。異物を排除したいという、一種の排他主義(趣味?)も満足させる。それは新聞の売り上げやサイトのクリック数につながるだろう。

 そこで自分たちの商売上の希望がかなわなかったからといって、「みんなが反発している」と言って市長を攻撃するというのは、あまりにも幼稚すぎる。こんなことが通用するのも、戦後70年超にわたって神戸を地元とする報道機関の存在を、神戸新聞グループの事実上1社だけしか認めてこなかったという、記者クラブ制度(新規参入を排除する官制カルテル組織)の弊害以外の何物でもない。メディアも営利企業なのだから、記者クラブを廃止して自由競争させるべきだ。それによって言論の自由(言論の多様性)が維持できるというメリットも大きい。

 2009年の新型インフルエンザが、このところ毎年流行している「A型」インフルエンザになったのと同じように、現在の新型コロナも近いうちに普通の病気になると考えられる。いつまでも感染者の個人情報を、詳しくバラ撒くわけにはいかないだろう。いまでは年間に数千人が亡くなる(当時の)新型インフルエンザを恐れて、感染者の動向をちくいち公表するよう騒ぎ立てるメディアもなければ、ツイッターで抗議する人もほぼいない。たとえ新型コロナの感染者でも、目的の分からない個人情報の開示を避けるのは、行政としてはあまりも自然な行動だ。

 とはいえ市長がツイッターで「感染者の行動を暴き立てて、何になるのですか」と、説教をしてしまったのは失敗といえば失敗だ。情報源の多くをテレビもしくはヤフーニュース(多くは新聞やテレビニュースのテキスト版)としていて、その感想をツイッターでつぶやいているという「情報弱者」には、その意図が理解できなかっただろう。ツイッターでは、えらい立場の人が説教すると面倒なことになるのが常だ。メディアも含め、多くの人は自分が情報弱者だと思っていない。特にメディアにあおられて興奮状態になっている人に、「これが常識だ」と真正面から主張しても残念ながら通じないだろう。

 

 

ストリートピアノ

 取りやめることで新型コロナウイルスの感染拡大を防止できるという理屈がよく分からない。ストリートピアノをやめるぐらいなら、満員電車での通勤を禁止するほうが先じゃないか。

 マラソン大会は飛沫が飛ぶから中止というのは分からなくもないが、たとえばクリーン作戦(ゴミ拾い)のような屋外イベントまで中止になるのはなぜだろう。

 あるホテルが周年記念にレストランで特別メニューを出すという。「自粛しようと思わないのか」とコメントした人がいた。なんのために?

 ご時世だから…。これで言論を封殺し、思考を停止し、短期的な「スカッと」のために長期的に貧しくなるという残念な状況が目の前に迫っている。そういう世論を主導しているのは専ら、主な記者クラブの加盟社だというのも興味深い。